我が家のジョブス君 幼稚園時代

ジョブス君は、我が家に64年ぶりに生まれた男の子でした。

ジョブス君のお父さんはいわゆる婿養子でしたので、ジョブス君が生まれるまで我が家では、私の祖父の弟さんが最後に生まれた男の子でした。
それはそれはみんな大喜びで、ジョブス君はいつも引っ張りだこ。
赤ちゃんの頃私の所へ戻ってくるのは、お腹がすいた時と、みんなが寝静まった時だけでした。

 

違和感を感じたけれど原因がわからず・・・

でも、ジョブス君は、おっぱいを飲む時、目を合わせてくれません。
それに、すっかり抱き癖が付いてしまい、眠るまで1時間以上もおんぶしながら子守唄を歌う事もよくありました。
やっと寝付いたと思った時には緊張が走ります。下ろす時に失敗しては、もう一度又一時間コースです。
夜泣きもひどく、朝までぐっすり寝れた!と感じたのは、ジョブス君が1歳半を過ぎた頃でした。

食事も偏食がありました。
一時期は、あまりに好き嫌いが多く、牛乳ばかり飲んでいた時期があります。
「ジョブス君は牛さんに育てられているわね!」とあきれて笑った事があります。

又、好きなものができると、毎日そればかりを要求し、他には目もくれません。
何とか栄養を取らせたいと、食事の工夫の他、アンパンマンの口調で話しかけたり、ぬいぐるみを使って話しかけたりと芝居がかったやり取りをして、口に入れるまでも色々な工夫が必要でした。

ジョブス君が好きなのは、テレビやビデオ。でも、私がテレビを真似て踊ったり、歌ったりしても、全く反応はありません。誘ってみてももちろん乗ってくる事はありません。

絵本の読み聞かせは毎晩30分程せがまれました。もういいかな?と思うと、次の本を取ってきます。疲れ果てて、もう勘弁して~と思う事もありましたが、今では良い思い出です。

それとブロックと水遊び!
レゴやブロックでの作品は工夫に満ちていて、時に驚くような素晴らしい作品も作り上げていました。
お風呂にはいつもいろんなものを用意しておきます。水車のおもちゃ、アヒルさんはもちろん、プリンの空、ペットボトル、食器用洗剤の空なんてのもありました。

でも、それらを使って、楽しく遊んで・・・という雰囲気ではなく、ジョブス君の顔は真剣そのもの。科学者のような眼差しで、頭のコンピューターがカチカチと何かをインプットしているかのように見えました。

運動能力は良い方で、歩き始めは一歳前。一歳のお誕生日には、お米を一升背負って歩きました。
自転車も、4歳の時には補助輪を外し、自由に乗りこなしていたほどです。
言葉にも遅れはなく、一歳になった頃には会話が通じる程度のやり取りもでき、おとなしいながらも、それほど問題に思う事はありませんでした。

ただ、何か…違和感を感じるのです。私にとっての当たり前が通じないことが多く、私の予想に反した言動が多い為、些細な事にいらだちを感じてしまうのです。

 

幼稚園時代

そんなジョブス君も、妹が生まれたのをきっかけに、幼稚園に入園。
10日間程は、朝からお迎えに行くまで、ずっと泣きっぱなしだったそうで、先生が一日中おんぶして下さったと言っていました。

その後の幼稚園での問題は、『お昼寝の時間に寝ないでお友達に遊びの誘いをかけるので困る。』『外遊びの後、声がけしても中に入ろうとせず、一人で遊んでいる』『落ち着きがない』等々。
やはり、「今まで甘やかして育ててきたのでしょう?」と言われました。「三つ子の魂百までも、というけど、もう三歳過ぎてるしねぇ」とも。

その頃のジョブス君は活発で、テレビの前にいる時以外は常にせわしなく、色々な遊びを生み出して動き、走り回っていました。
幼稚園に入るまでは、マイペースに好きなだけ好きな遊びに集中させて育ててきましたので、朝の登園の時間までの準備も、それはもう大変でした。まさに戦場です。その上、登園すると自由に遊ばせてもらえない。

ジョブス君は、登園拒否を始めました。一週間ほどお休みをし、私も疲れ果てて、もう無理に幼稚園には行かなくてもよいのではないか?と考えました。

でも、その事を幼稚園の先生に話すと、「慣れるまではみんなそうだから、無理にでも連れてきてください。」と言われ、そんなもんなのかな・・・と憂鬱になりながらも、登園を再開しました。

毎日、無理やりに車に乗せ、幼稚園につくと先生が車から引っ張り出すようにして連れ出す。という日々がしばらく続きました。本当につらい日々でした。
正直、その頃の記憶はあまり残っていません。
朝、幼稚園まで送り届けた後の帰り道、このまま事故にでもあって、明日が来なければいいのに・・・。と思っていた記憶が残っています。

結果として、小学に入る前に、朝時間までに準備し、家から出る。という習慣がついたことは良かったのだと思います。

そして、お友達と遊ぶ楽しさも味わえました。
でも、やはりつらい思い出です。

幼稚園時代に「アスペルガー症候群」とわかっていたら・・・。
もっと理解して下さる幼稚園に転園していたら・・・。
いえ、私がジョブス君の気持ちをもっと尊重し、もっとゆっくりと慣らしながら登園させていたら・・・。
いろんな後悔が残る幼稚園時代。

 

輝く未来への第一歩としての『診断』

発達障害の診断は、必要な人が必要な支援を受けられるようにするための診断です。
障害の境界線は、はっきりとした区切りがあるわけではなく、障害の程度もグレーゾーンと呼ばれるものから、しっかりとわかる症状まで様々です。
目に見えてわかる障害でもありません。
誰にも言わなければ、ちょっと変わった人で通るかもしれません。
でも、わからないようにして生きていくには、本人的には相当生きづらい人生になるのではないか?と考えられます。

診断を受け、周りへの理解を得られることで、サポートしてもらえる機会が、ぐっと高まります。苦しいときには、誰かにSOSを出しやすくなります。
きっとその方が、将来的には身につくものも多く、どこかでくじけても、立ち直る期間も短くて済みます。
私は、診断を受けてからの方がずっと楽になりました。
そして、子供達に、何が必要で、どうしてあげればいいのか?の道筋ができました。
手を差し伸べて下さる暖かさにもたくさん出会いました。
もし、迷っている方がいらっしゃったら、相談だけでも受けてみてはいかがかな?と思います。

子供たちが一時期通っていた発達障害の子の教室の先生の言葉です。

「この前落語を見る機会があってね、ふと思ったんだけど、あの主人公の人の特徴って発達障害の人の特徴とよく似てるよね!よく考えると、ごくごく普通の人っていう人がいたら、物語の主人公にしても、きっとつまらないお話になるよね。発達障害の人たちって、主人公になれるような人達なんだよね。」

そうなんです。社会の枠組みに治めようとすると、欠点ばかり目立ってしまうけど、こちらから歩み寄って、その世界に入ってみると、実はとっても豊かでキラキラした世界が広がっていたりするんです。

社会の中で生きていくには、周りに合わせていく事ももちろん必要なんだけど、時にはこちらからその世界に入ってみると、いろんな発見があって、想像もしない世界を教えてくれたりします。
今の社会ではまだ少数派で個性派揃いではありますが。